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縄文時代と弥生時代。

私は、まるで室町時代と江戸時代、、、というように
ただただ、「日本人」の時間の経過に伴う時代背景などの違いだと思っていた。


明治時代の日本人よりも平成の日本人の方が洗練されている。

こんなふうに、
縄文人が進化したのが弥生人だと思っていた。




先月、吉野ヶ里遺跡・弥生時代の遺跡を訪れて、
改めて理解したことが、

「弥生時代の文化・稲作はほぼ朝鮮半島からやってきたもの。」

こんなこと、
歴史の授業でシンプルにまず学ぶ事だ。

だけど、なんというか、、、、

文字だけが、
知識だけが

頭を通り過ぎていて、
「本当に」は、理解はしていなかったと思った。


今回、はじめて頭すっきり理解ができた。
弥生時代から「クニ」作りが始まった。
つまり、行政システムができていった。

日本の主食となる米作が始まった。



今日の日本の原型は弥生時代からつくられたようなもんだなぁと思った。


そして、全ては朝鮮あってこそ。


なにか、
どこかで、日本人は朝鮮人を卑下するような風潮が残っているが
日本の発展は朝鮮あってこそではないのか、、と。


日本人は他から技術をとりいれて、
それを原型よりもプラスに改良する力に溢れている民族だと思う。
勤勉さ、繊細さゆえんのものだろう。


しかし、
縄文人のような原始的生活から、
進化した人間の営みに変わる経緯はこんなふうに理解できても

「人種」までかわるのだろうか?

という疑問だけは残った。


よく表現される縄文人はごついい体型に、毛深く、顔もくどい。
しかし、よく表現される弥生人はきゃしゃで顔も薄い感じ。

いくら何千年の経緯はあるといえども、
人ってこんなに変わるのか?

と。


いままでは、
疑問をもちつつも、

「まあ、肉食から草食に変わったから、
体型も変わったんでしょ。」

と言う具合に自分を納得させていた。
(と、いうよりも、それ以上の興味もなかった


ただ、今回、
吉野ヶ里遺跡(弥生時代)と山内丸山遺跡(縄文時代)をほぼ同時に見ることになったことから、改めて疑問が生じたのだ。



こんな機会なので、
ネットで調べてみた。


まずは、
対象は、太古昔のことであるということ。

はっきりあきらかにはされていないのでいろんな説がある。

しかし、
これまで自分が見て、聞いてきた経験・知識のなかで
かなりふに落ちたのが



「縄文人と弥生人というのは民族が違う」という説だ。


まあ、
はっきりは明らかにされていないようなのだけど、
信憑性のある説トップ3であるのが、

弥生人=渡来人
縄文人=原住民

と、いう説である。

「朝鮮の文化・稲作を朝鮮よりとりいれた」、、
と、いうよりは
単に
「その技術、文化をもった朝鮮人が移民してきた」
というとこだ!

そんで、先住民である縄文人を北に追いやった、
ということ。

そして、
その縄文人の子孫が、北東北や北海道にいるアイヌ民族だという説である。
(琉球民族もしかり)

これは
私の中では
いままでの小さな疑問がすべてつじつまがあって、
すっきりした説だった






邪馬台国が、九州説と近畿説があるが
私は九州説を信じている。


朝鮮は九州にほど近く、移民しやすい。
弥生人は朝鮮人のようなのっぺりした外観、顔つき。

朝鮮人が先住民である縄文人を侵略したとするならば、
縄文人と弥生人の外観が違うこともつじつまがあう。

南から入ってきた所以、北に追いやるということ、、、
そしてアイヌ民族は現に北海道、北東北にいるということ。


なんかおもしろくて
仕方がなくなってきた!

私と愛馬はこういうマニアックなトピックスが大好きだ。

先月の九州の旅。

熊本で偶然会えた、賢人塾の田端さんも
縄文人=日本人の原型はアイヌにあるのではないかと自ら足をはこんでアイヌについで調査したという話もありで、、、。

そんなわけで、
突如、
私たちはアイヌについて知る旅へと切り替わったのだ!


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上記は
今まで歴史に無頓着で生きてきたぱーぷりんな人間の
にわか浅はかな知識と、考察です。。。
知識がある方、ご意見、訂正などあれば是非お願いします☆
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