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今年のクリスマスDVDの続き。

たまたまレンタルショップで見つけた「マリア」というDVDを見ました。


今回の旅で聖地イスラエル、
キリスト教のもとに存在する国ともいうようなイタリアを訪れてから「宗教」・・・「キリスト教」というものに深く興味を持った私。


やっぱり、無宗教な環境に近い日本人が、

「聖地」というものを生で体験して、

宗教と共に人生がある人たちと生で触れあうと

知ってるつもりで知らなかった「宗教」というものに向かいあわされます。


いろんな場所を訪れては漠然といろんな宗教に対する疑問が湧き上がったり、
宗教に対するいろんな感性が働くのですが、

そんな中で抱いた疑問のひとつ。

それは

「イエスキリストのおとーさん」

これまでたくさんの教会も宗教画もみてきたけど、

「イエス」「マリア」「イエス」「マリア」

イエスを抱くマリア。
十字架に貼り付けられたイエスキリスト
神々しいイエス
慈悲深いマリア


「オー、ジーザス!」「オー、マリア!」

「オー、ヨセフ!(キリストのおとーさん)」・・・なんて聞いたことない。



イエスキリストのおとーさんは、私が触れてきた限りの宗教施設で出逢った記憶がない。

このヨーロッパ旅行でいたけど
私が全く気づいてこなかっただけでもあるんでしょうけどね。



だから、私の中ではイエスのおとーさんはほとんど存在しないものだと勝手に思っていた。



私が知っていたのはイエスのおとーさんは大工だったということだけ。



我が故郷の偉人、「野口英世伝」みたいに、
おとーさんはいたけど、酒飲み、ぐーたらで、
マリアがせっせと働いて養っていた、、みたいなもんだったのかな?、、とか

イエスが生まれてから、父として存在していたこともあったけど、
1,2年ぐらいで死んじゃったりして、マリアが1人でイエスを育てたのかな??、、とか

イエスの成長にはあんまり関係のない存在だったのかな?


なんて勝手な想像もしていた。



でも、

もし、しっかり妻子を養って、立派な父親として存在していたとするなら・・・??!!



その父もマリア同様偉大な存在であろうに、
なんであんまり表に出てこないんだろう??と、理不尽な思いにすらなった。


なんやら、

宗教的思想で、ヨセフをイエスの父として存在を認めてしまうと、
イエスが神の子であるということ矛盾が生じるから、キリスト教のなんとか派はヨセフの存在を父として認めない
、、というような話も聞いたことあますが・・。

実際はどーなんでしょうか?
(調べればいいんでしょうか、すいません。あえて素人の疑問として書かせてもらってます。)


しかし、

イエスの故郷、ナザレを訪れたとき、
やっと出逢えました!イエスのおとーさん!!



Nathareth - 38


じゃーん!!


Nathareth - 37


いつも宗教画とか彫刻ではベイビーイエスか成人のイエスしか出逢えてこなかったけど、
少年のイエスにも沢山出逢えたこともなんか貴重。


Nathareth - 42

この街には、イエスのおとーさんの姿が沢山ありました。



Nathareth - 39

こんな風に一般庶民の生活の中で、一般的な家庭の中でイエスが育ったんだよ~と、
イエスの成長環境、成長過程を見れる絵画も初めてで新鮮で興味深かったです☆



こんなイエスのおとーさんが登場する絵画、彫刻というものを目にしていると、

やっぱり、イエスのおとーさんももっと聖なる存在として崇められてもいいんじゃないかなぁ・・
なんてと思ってしまいました。

(聖ヨセフ教会なるところはぽつぽつあるようですけどねー)


おとーさんのおかげでイエスは生活支えられて無事に育ってきたわけだしー。

イエスの成長環境は父親の生活環境に由来すると考えると、
庶民の味方として布教をするようになったイエスという存在は、その父による影響も大きいんじゃないのー。

父として選ばれたヨセフもまた聖なる存在で、重要視されるべき存在でもいーんでないのっ?・・なんて。

母体として精霊に選ばれた存在としてマリアが聖なる存在なのであれば、
育て、養う父ヨセフもまた選ばれた聖なる存在なんじゃないかな~・・と。



逆にいえば、
マリア様、マリア様~!!と祀られてるけど、マリアなんてただ産んだだけなのになんでこんなに??
・・という疑問をもった私でもありました。


(ご存じの方是非教えて下さい!)

ブッタの母は全くどこの寺院でも登場してこないのにね。









そんなときにたまたま見たのが、この「マリア」というDVD。


マリア


これは、まさに父ヨセフがめいいっぱい活躍して、父ヨセフの存在の素晴らしさが表現されていたと思います!
(個人的には、「マリアとヨセフ」ってタイトルでもよかったんじゃないかなー、なんて思っちゃいましたが。ヨセフにもっと注目して欲しい想いより・・

これは所詮映画といえど、
神学者、歴史、政治の専門家が多く関与してできた作品だとのこと。

ふむふむ。

イエスのおとーさん、ヨセフに対する私の想いが晴らされた一本でありました。

なんか大きく満足した気持ちになってしまいました。



ヨセフがいなかったら、
無事にイエスも産まれることはできなかっただろうし、
産まれてから間もなくの子供殺しの難からも逃れることはできなかったと思うと

やっぱり父ヨセフの存在は聖なる素晴らしきものではないかなと思いました。


自分と関係していない間に身ごもったというマリアを信じ、
マリアとイエスを支えて守ったヨセフ。


イエスは、ヨセフとマリアの愛なくしては無事に産まれることはなかったんじゃないかな?
なんて思ってしまいました。

「神=愛」

神の子=愛の子

ヨセフあってのイエスだったんじゃないかなーと。



生殖機能の問題だけでなく、
やっぱり男と女によって生み出される「愛」がないと素晴らしきものは産まれない。


「人間ひとりでは成り立たない「愛」というものの偉大なパワー」

こんな事を考えさせられちゃったそんな映画でした。



そして、また考える。


この映画を見てるとマリアとヨセフは共に神に選ばれたイエスの両親であり、
そこには優劣というか、マリアだけが聖なる存在だとは思えない。

なのに、


一般的にイエスとマリアは神的存在。

でも、父親ヨセフは地味な存在。



母と子。
この関係の存在ということに大きな意味を持たせてるのかしら?


男性であるキリストの存在とバランスをとるために女性であるマリアを同等の聖なる存在としてるのかな?


キリスト教って政治、権力、金に多いに利用されてきた宗教でもあることを思うと、
効果的な信仰心を集めるための戦略なのか??と思ったり。

「女性」「母」という存在自体が人に安らぎを与えやすいし、
「観音様」的存在がより宗教を安定させられそうだもんね。



なんてことを思ってみたり、


「ダビンチコード」じゃないけど、
こんな風に教会や宗教画が作られたり、そういう広まり方をしている実態に
男性と女性の存在の意味を示唆するキーワードがあったりするのかな、、?


なんて推測してひとりワクワクしてるわたし。w



相変わらず、疑問、想像、妄想で盛りあがっております。。。



しかしながら、


ナザレ

エルサレム

ベツレヘム


今回訪れた場所でもあるので、とても身近な場所として
リアリティを感じながらこの映画を見れたのもまたよかったなー♪

この場所を訪れなかったらやおとぎ話のように感じただけになってしまったように思います。


そして、このクリスマスに見ることができたこともまた感慨深くありましたー。






今日もこんな徒然疑問・妄想におつきあい毎度ありがとうございます。
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