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◉2009/05/26◉ 平和祈念☆沖縄①
「沖縄戦」

はっきりいって名前だけ知っていた。
はっきりいって何も知らなかった。

「知っているつもり」なだけだったのだ。


結構みんなもそんなものなのか、
わたしはその土地にいかないと学べないことが多い。
その県、国がどこにあるのか、地理的なことすら、その土地に行ってはじめて理解できる。
完全体験型なのだ。


そんなわけで、
今回の沖縄への旅の目的の一つである「沖縄戦」を
体、感覚で理解すべく、
目にはいるところ一通り見てまわろうと思った。
まず引き寄せられるように、予定外にたどり着いた場所は
「喜屋武岬(きゃんみさき)」
沖縄戦の最期、米軍に追いつめられた住民や兵士はここで行き場を失い、
この断崖から次々と身を投げ、海は一面血に染まったらしい。
硫黄島やサイパン島に続く「バンザイ・クリフ」がここにもあり、
「死して虜囚の辱めを受けず」という軍国思想による悲劇であったという。

IMGP2978.jpg


IMGP2979.jpg



その背景を知ったからか、

その日の空が曇り空だったからか、

その当時の悲劇が想像できてしまうようなもの悲しさが放たれていた岬だった。


その後、通り道ということもあって、
「平和創造の森公園」にも立ち寄った。
ここには東京からきた兵士の犠牲者の碑があった。

IMGP2983.jpg




次に向かったのが
「ひめゆりの塔」
かの有名な場所。
しかし、実際ひめゆり隊について詳しく知ったのは、去年見たテレビ番組からだった。
名前だけ有名だとなんか知った気になってしまう。

IMGP2964.jpg



IMGP2957.jpg


塔のすぐ前にある、壕は生々しく、
まだ誰かが中に潜んでいるのではないかという空気感があった。
こんなに月日が経ってもその当時を想像させるに易い現状を保っているのが
すごいなぁと思った。

IMGP2960.jpg



たまたま居合わせたツアーのガイドさんの話に耳が吸い付いた。
「ひめゆり隊が全国的に有名ですが、そのほかにも犠牲になった学徒隊たちがいるんです。
たとえば、ここから5分ほどのところにもその碑があります。
しかし、多くの観光客は、ほとんど足を運ばれません。
ひめゆり隊以外にも多くの学徒隊が犠牲になったことも忘れないで欲しいと
沖縄人として思うのです。」

たしかに、
そう言われて
なるほど、、確かにそうなんだろうと思った。




平和祈念公園に車を走らせる途中、
「健児の塔」
という案内が
目に入った。それがなんなのかわからなかったが、
ひきつけられるようにまたそこに向かった。

駐車場につくと、閑散としている。

「一体何があるんだっ??」

やじるしに従って、石段を下る。
全く誰もいない寂しい場所
完全に静かな草木茂る石段をどんどん下りていくのはちょっとこわかった。
どこまで下りればそれはあるんだろう。

碑と銅像が見えてきた。
「あ、なるほど!」
ここが、さっきのガイドさんが言っていた場所なのだと気づいた。

IMGP2984.jpg




「健児の塔」は、
沖縄師範学校男子部等の生徒によって編成された鉄血勤皇隊犠牲者を祀った碑で
いわゆるひめゆりの塔の男性版らしい。
鉄血勤皇隊は陣地構築、伝令、通信、切り込み、戦車への特攻等、より危険性の高い任務だったそうだ。


ひめゆりの場所と比べると
ほとんど誰も訪れず、

寂しく、

怖いくらいに

寂しい場所だった。

塔のある広場からさらに下に降りる道があり、下ると自然洞窟(ガマ)がある。
鉄血勤皇隊の方々が自決された場所だということだ。

IMGP2990.jpg





これまでの道中、これらの場所以外に
いくつかの沖縄戦の犠牲者を祀る碑を通り過ぎた。

こんなにもの数の慰霊碑を目にすることによって、
犠牲者の多さと
沖縄戦の悲惨さを体で理解した。



私にできることは
鎮魂の祈りと、
平和を願うことだけだった。

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