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      Dharamsala 2
                       2004年 初めてのダラムサラ

マナリーを去ってダラムサラに着いた。

マナリーからダラムサラまでは7時間。
前回の20時間の旅を考えれば道路も快適だったしあっという間だった。

ダラムサラはチベットから亡命したダライラマが住んでいる場所であり、
それ故チベット人も多く住む場所でインドっぽくない場所である。

実はダラムサラはコレで3度目。
4度目のタージマハルに引き続き、不思議な縁ある場所。


そして、思い出深いことがたくさんあった。
今の自分を作ったともいえる出逢い・経験があった。

思い出をたどって、あの頃の自分を振り返ってみたいと思った。
そんなわけで、ダラムサラ旅行記は過去のエピソードと供にお伝えします!

長編の予感ですが、よろしく~
初めてのダラムサラ。
2004年。
初めてのインド一人旅だった私は旅のスタートからすっかりだまされ
ぼったくられて、拉致されて、毒盛られて、瀕死の状態になって
(↑超簡潔に説明してみました
死にそうになりながらたどり着いたのがダラムサラだった。

そんな私は、インド人と自分に対して悔しい思いと後悔にさいなまれていた。

ダラムサラについて初日、ふらりレストランに入った。
するといきなり混んできた。それで、オーストリアのカップルと相席することになった。
感じのよさそうな彼女が声をかけてくれて会話がはじまった。
(↑写真左2人)

わたしは、心の毒を吐き出したいこともあり、
会話のネタに一連の辛い事件をドラマチックに彼女らに話した。

すると、
彼女はそんなひどいインド人に憤ることもなく、
ひどい目にあったわたしに慈悲の眼差しもなく、
なんと、大笑いしながらわたしの話を聞いてくれた。


「あなたいい経験したわね~!貴重よ~!」と満面の笑み。

そして、

「あなた今日グレートパフォーマーだったわ!話おもしろかったからご飯おごるわ!」と。


話してちょっとすっきりしたこともあるけど、彼女が笑い飛ばしてくれたおかげで、
わたしの心の毒も飛ばされた気がして明るくなった。

翌日プラプラ1人で街を探索していたら、ばったり彼女らに会ったのでそのまま1日一緒にすごした。
その日の夕方、私が宿のインド人とちょっとトラブっていたら、
私は別にどうでもいいと思っていたのに、彼女は本気で怒って戦ってくれたりもした。

トラブル後の女1人旅の萎えた心を彼女はかなり力強くしてくれた。

そして、旅を続ける元気をもらった。
あんなに身も心も病んでいたのに、おそるべし回復力で元気になり、
すごい勢いでインドを旅することができた。

このカップルに会えなかったら、私は途中で旅を断念して日本に帰っていたかもしれない。
そして、2度とインドにはこなかっただろう。



2度目のダラムサラ。
翌年2005年
当時宅建(資格試験)の勉強をしなきゃいけないけど、
非現実的なところに身を置く必要性を感じていた私は海外で勉強できる場所を探していた。

1度目のインドから帰ってきて4ヶ月程インドが原因と思われる悲惨な病気に苦しんだあたし。
んなわけで、インドだけは選択肢にいれまい!と思っていたのに
何故かダラムサラが脳裏に浮かんできて離れなかった。

何度も「だからインドはダメだっつーの!」と除外するも、結局頭に浮かんで離れない。。

・・・でなんやかんやの末、
そんな自分にあきらめて飛びだったのが2度目のダラムサラだったのだ。
(結局また帰国後病に倒れましたが・・ 社長すいません・・)


2005年2度目のインドはダラムサラだけが目的だった。
8日間の滞在だったこともあり、エピソードがたくさんある。

まず、ひとつ。
それは、ミュージックイベントで歌ってしまったことだ。


デリーから一緒にバスに乗り合わせたカップルと同じ宿に宿泊していた私は
ある夜彼らに映画に誘われた。

「ちょっと荷物の整理終わったらあとでいくから先にいってて~」

そういって、現地合流しようと街にでたら、なぜか知ってると思っていた映画館がみあたらない。

うろうろしてると、デリーで会ったイギリス人に遭遇。

映画をあきらめて彼と夕食でも一緒に食べることにしよう・・
と彼とレストランを探していたら、昼間に会ったチベット人に遭遇。

「ミュージックイベントやってるから一緒に行こう。そこでご飯も食べれるし」

彼は石田純一風のチベット人。(ノリも外見も)

一人なら絶対について行ってなかった。
でも、イギリス人と一緒だった安心感があったのでついてってみることにした。


India 2005 066 っぽくないです?


そんな流れで、ちょっとだけ街から離れたレストランバーにたどり着いた。


チベット人とその友達と私とイギリス人。4人でご飯を食べる。
どんどん人が集まってきて楽しそうな雰囲気になってきた。


すると、私たちのテーブルに主催者の女性がやってきた。


「今日ゲストの飛び入りパフォーマンスやってもらうんだけど、誰か何かできる人いない?」

もぐもぐご飯を食べていたら、

「あ、お前日本人だから、カラオケできるだろ!」と純一(チベット人)
「そうだ、そうだ、この子歌うたいまーす!」とイギリス人ともひとりのチベット人。

冗談じゃない!!
もぐもぐしながらクビを横に振る。

その後、しばらく純一たちはその女性と雑談してる様子。
私はもうすでに、さっきの話は終わっていると思っていた。


「お前名前は?」と純一。

聞かれて思わず条件反射で「ミキヤマダ」と答えた。


すると、
「オッケー」といって主催者の女性は一瞬でひとごみに消えていった。

あ、そーゆーことっ!?


「!!!!????ちょっとまった~歌えないわよ
ちょっとアンタ、取り消しにいってきてよ~!

「too late! (あきらめな)」と純一。


人混みすぎて、動けないし、

イベントのパフォーマンスがすでに始まっていたので大声もだせない・・


まあ、あとで断ればいいやと開き直ってイベントを楽しんでいた。

India 2005 057 

イベントはこんな感じでした。



しばらくすると、

「ここで、ゲストの飛び入りパフォーマンス!」

・・・げ、こ、これかっ!


「ミキヤマダー!」

きた~!

って、

断ろうと思ったら、


びっくりするぐらいの拍手で盛り上がってる様子!

うぎゃぁ~!!
取り消せる間スキがない、そんな空気じゃないっ!


もう歌わないなんていったら罪に等しい状態だった!

歌うつもりなかったので、この状況にかなりテンパりあせった!

そして、拍手の後はめっちゃ注目されて、突然静粛になった・・・



わたしも、観念した。


「日本人の方いますか~?」


しーーーーん・・


よし、日本人いないならちょっと恥が紛れるっ!
もう、やってまえっ!あたしっ!



ほならほなら、じゃ、何を歌おう?


私は日本人だから、、、日本の曲がいいよね。。

わたしは父親ゆずりの音痴。
しかし、日本の曲ならへたでもバレにくい・・うんうん。


しかし、全く聞いたことのない日本の歌ってよりも
みんなどっかで聞いたことあるって感じの曲がうれしいよね。



って、なったら



あれしかないですよね!




スキヤキソングーこと「上を向いて歩こう」



よしっ!!



      深呼吸で、精神統一&完全開き直り。。



う~えをむぅ~いぃ~て~
あ~るこうぉぉおっよ~♪



ヤバイ・・はずれてるっ!!

・・・・・・でも、あたしがんばれっ!


おもいだ~す、は~るのひー、ひっと~りぼぉっちのよっるー


うん・・ちょっと音程あってきた・・よしよし。。


?!?!?!


うげっ!


次の歌詞はなんだっ~??
(てか、いままでもきっと歌詞はめちゃくちゃ)


しぃあわ~せ~はー、か~ぜーのーよう~に
しぃあわ~せはー、ほしのーよおに~♪


存在しうる単語を使いまくった

そして、でたらめを連続しているうちに、完全開き直ってきた。

恥はどっかに飛んでいっていた。

歌は完全にひどかったと思う・・日本人がいないと思ったので歌い遂げたようなものだ。
ただ、全力で絞り出していた。


しかし、歌いおわったらやっぱり恥ずかしい~!
あたしはどうやって恥を残して消え去ればいいのだと、、


思ったとき・・





すごい拍手と歓声が湧き上がった!


まじでっ?
すごいっ!



恥ずかしかったけど、すごくすごくうれしかった。



帰るときも、
「You so great!!」とか「I love your song!」とかたくさんの人が声をかけてくれた。


翌日は、お店にはいれば
「You were great! You sang by heart! (お前よかったぞ!お前は心で歌っていた)」

街を歩いてると
「Oh singing girl!!」と手を振ってくれる人もいた。


いろんな人が私に声をかけてくれた。
滞在中しばらく、その村でぷち有名人になれた。



2005年、その年、あたしはすごく心が病んでいた。
その年は、間接的な関係の人含め、私の周りで10人もの人が亡くなった。

  自ら人生の幕をおろしてしまった人も・・・

そして、その年は自分にとってもいろんな精神的ダメージが重なった年で
ポジティブ主義の私が、どうしてもどうしても元気になれなくなってしまった年だった。
どんなに表面を元気にしても、闇に落ちた心を掬いだせないでいた。

なので、
非現実的な場所に身をおいて、なにか外から刺激をうけることで自分を元気にしたいと思い
前述の流れでここダラムサラに流れ着いたのだった。


忙しい毎日から離れ、
デリーからダラムサラまでバスで13時間。
異国の地で1人静かに、バスの窓から全く日常とかけ離れた景色を見てると
思っていたより傷ついていた自分に気づいて泣いた。

そんなわけで、インドに入ってからも、さらにドーンとしていたのだけど


歌を歌ったあと、気がついたら
ふっきれたように清々しい自分がいた。

たまたま選んだ曲「上を向いて歩こう」
自分で自分にメッセージとエールを送ったような気もした。

そして、みんながちゃんと聞いてくれて、拍手して歓声をあげてくれたことで、
また暗い気持ちをとばされた感じもした。

そして、数日間いろんな人に暖かい声をかけられているうちに、
あたしの心が光を放ってきたのを感じた


今思えば
これは、1度目のダラムサラのときの体験に似てる。

笑い飛ばされたことでふっきれた自分。

彼女は本当に私の話がおもしろかったわけではないと思う。
私を元気づけようとして笑ってくれて、食事をご馳走してくれたのだと思っている。

翌日、インド人とちょっとトラブってるとき、私より怒って本気で戦ってくれた彼女。

縁あって出逢い、たまたまあたしの不運を知ってしまった・・
そんな見知らぬ他人・・あたしへの思いやりだったに違いない。


今回の件も
私の歌が上手かったからではなくて・・ただ、真剣にがんばった者に対する応援の拍手と歓声だった。

こんなどこの誰だかも知らない私のへたくそな歌に、
一生懸命さだけ認めてくれて拍手や歓声をくれた。

なんていったらいいんだろう・・



「人間の人間に対する自然な愛情」だと思った。



人間っておもしろい。
こんなにも人の愛情、思いやりで元気になる生き物なのだ。




そんなことに改めて気づかされたダラムサラだったのだ。

いままで気恥ずかしかったり、へんに相手の気遣いをしてできない他人への親切があった。
特に小さいことであればある程こそ、「どうせあたしなんかの・・」なんて思っちゃってた。

電車で年配の人に席を譲る。
電車で具合が悪そうな人には声をかける。
重い荷物に困ってそうな人に手を貸す。
障害者が迷ってそうだったり、間違えそうだったら誘導してあげる。
ちょっとでも心に響いたストリートミュージシャンには拍手する・投げ銭する、声をかける。
がんばっているひとに評価する言葉をかける、感動を伝える。
席を譲ってもらったり他人にしてもらった小さな親切にも笑顔でありがとう。
tec,etc・・・・


他人へのシンプルな愛情と思いやり。

そんなことを私ができるようになったのは、恥ずかしながらも2度目のダラムサラの後だった。


笑顔と愛情と思いやりは伝染して循環する。

そして、心元気な人はきっと増えていく。





一度目も出来事も、2度目の出来事も、
偶然が重なったドラマのシナリオみたいな出来事だった。

単純にここダラムサラでそんな流れで気持ちが癒されたことに感謝だ。


「慈悲の心をもちなさい」
そう説くダライラマのお膝元ここダラムサラ。


ダラムサラは私にそんな学びを与えるために、私を呼び寄せた。
そんなことを感ぜずにはいられなかった。


物事はなんでも人のとりようなんだけど、あたしはそう思う事にしようと思った。



今回も私に何か学び与えてくれるのだろうかダラムサラ!
そんな思い出とともにダラムサラステイが始まりましたっ!






いつもに輪をかけての長編、読んでいただいて大感謝です 

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